米津玄師『1991』歌詞考察─かつての恋に縋る─

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みなさんこんにちは!

2025/10/13に米津玄師の新曲『1991』がリリースされました!

題にある「1991」は米津玄師さんの生まれ年であり、彼が生まれてから今までの道のりを、かつて抱いていた恋心を辿るように振り返るような曲になっています。

今回はそんな米津玄師『1991』の歌詞を考察していきたいと思います。

ぜひ、最後までご覧ください!

目次

1. 米津玄師『1991』歌詞

君の声が聞こえたような気がして
僕は振り向いた

1991僕は生まれた
靴ばかり見つめて生きていた

いつも笑って隠した
消えない傷と寂しさを

1991恋をしていた
光る過去を覗くように

ねえこんなに簡単なことに
気づけなかったんだ
優しくなんてなかった
僕はただいつまでも君といたかった

雪のようにひらりひらり落ちる桜
君のいない人生を耐えられるだろうか

どこで誰と何をしていてもここじゃなかった
生きていたくも死にたくもなかった

いつも遠くを見ているふりして
泣き叫びたかった

1991恋をしていた
過ぎた過去に縋るように

ねえ小さく揺らいだ果てに僕ら出会ったんだ
息ができなかった
僕はただいつまでも君といたかった

雪のようにひらりひらり落ちる桜
君のいない人生を耐えられるだろうか

1991僕は瞬くように恋をした
1991いつも夢見るように生きていた

2. 米津玄師『1991』歌詞考察

2-1.過去に縋って俯きながら生きてきた

君の声が聞こえたような気がして
僕は振り向いた

1991僕は生まれた
靴ばかり見つめて生きていた

いつも笑って隠した
消えない傷と寂しさを

1991恋をしていた
光る過去を覗くように

ねえこんなに簡単なことに
気づけなかったんだ
優しくなんてなかった
僕はただいつまでも君といたかった

彼が振り向いたのは「懐かしい彼女の声」が聞こえたからです。

そしてそんな彼女に恋をしたのは「輝かしい過去を覗けるような懐かしさ」があったから。

彼が笑って隠してきたのは「過去に負った消えない傷や寂しさ」

そして、彼女と離れた今も「ずっと一緒にいたかった」と振り返ります。

つまり、彼は「過去」や「想い出の美しさ」に囚われながら生きてきたことがうかがえます。

2-2.過去に囚われるあまり疎かになる「今」

雪のようにひらりひらり落ちる桜
君のいない人生を耐えられるだろうか

どこで誰と何をしていてもここじゃなかった
生きていたくも死にたくもなかった

いつも遠くを見ているふりして
泣き叫びたかった

雪がしんと降るような、桜が散るような儚い終わりを迎えた君との恋に打ちひしがれます。

別れの悲しみに囚われ、どこで誰と何をしていようが心ここに在らずで、生きていたくもなく死にたくもないような「無気力の生」を続けてしまいます。

遠くを見つめるような顔でいたとしても、未来を見据えているのではなく、過去の痛みに囚われては泣き叫びたくなっています。

とにかく、彼の心は「今」でも「未来」でもなく、「過去」ばかりを見つめているのがわかります。

2-3.彼女と出会うまでは見れた「未来」

1991恋をしていた
過ぎた過去に縋るように

ねえ小さく揺らいだ果てに僕ら出会ったんだ
息ができなかった
僕はただいつまでも君といたかった

雪のようにひらりひらり落ちる桜
君のいない人生を耐えられるだろうか

1991僕は瞬くように恋をした
1991いつも夢見るように生きていた

ここでようやく「過ぎた過去に縋るように」という直接的な表現をもって、彼の生き様が明言されます。

「瞬くように恋をした」
これは「一瞬」という表現を含んでいる点で、かつては「今」に生きていたことを表現しているとも取れます。

「夢見るように生きていた」
「夢」を含むこの表現は、かつては「未来」を見つめることができていたことを表しています。

つまり、未来や今の不安に揺らいでいた先で出逢った彼らでしたが、別れた後の彼は恋の始まり方とは裏腹に、過去ばかりを見つめる生き方しかできなくなってしまったのです。

3.まとめ

米津玄師の新曲『1991』は、ひとつの恋をきっかけに「過去」ばかりを見つめてしまうようになった彼自身の自戒、そして、時が経ち美化された末の過去があまりにも美しいことの儚さや切なさを描いた曲になっていました。

過去に縋ることの良し悪しを描いたというよりは、そのノスタルジーに含まれる侘しさやさびれた幸せなどに対して見出す美しさを描いた歌詞やサウンドが魅力的です。

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