みなさんこんにちは!
当記事ではヨルシカの『火星人』の歌詞考察をしていきたいと思います。
『火星人』…。この曲名、歌詞に込められたメッセージとはなんなのでしょうか?
当記事では歌詞全文を紹介した後、一節ごとに区切って歌詞の考察を行っていきます。
ぜひ最後までご覧ください!
##1.ヨルシカ『火星人』歌詞
ぴんと立てた指の先から
爛と光って見える
ぱんと開けた口の奥から
今日も火星が見える
穏やかに生きていたい
休符。
あぁ、わかってください
火星へランデヴー
普通の日々 普通のシンパシー
僕が見たいのはふざけた嵐だけ
火星へランデヴー
それにランタンも鏡もいらない
僕の苦しさが月の反射だったらいいのに
ぴんと立てたペンの先から
芯のない自分が見える
しんと静かな夜にさえ
蘭の花弁が映える
深く眠らせて
休符。
優しく撫でて
火星でランデヴー
惰性の日々 理想は引力
僕が見たいのは自分の中身だけ
自分へランデヴー
それに音楽も薬もいらない
僕の価値観が脳の反射だったらいいのに
ぴんと立てたしっぽの先から、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる
休符。
あぁ、いらいらするね
火星へランデヴー
惰性の日々 理性の毎日
君に足りないのは時間と余裕だけ
火星へランデヴー
そこに銃弾も花火もいらない
火星の大地がチョコと同じだったらなぁ
火星へランデヴー
さよならあの地球の引力
僕が見てるのは言葉の光だけ
火星へランデヴー
それにランタンも鏡もいらない
僕の苦しさが月の反射だったらいいのに
2.ヨルシカ『火星人』歌詞考察
2-1.ふとした仕草に滲む願望
ぴんと立てた指の先から
爛と光って見える
ぱんと開けた口の奥から
今日も火星が見える
穏やかに生きていたい
休符。
あぁ、わかってください
何気ない身体の動作の中に、火星が見えている。
この冒頭の描写は、主人公の思考や視線が常に現実から逸れていることを象徴しているのでしょう。
「穏やかに生きていたい」という静かな願いは、続く「休符。」によっていったん途切れ、「わかってください」と切実な訴えへと変わります。
言葉にしきれない孤独、そして理解されないことへの苛立ちが、この最初の節に凝縮されています。
2-2.退屈な日常を脱して、“ふざけた嵐”へ
火星へランデヴー
普通の日々 普通のシンパシー
僕が見たいのはふざけた嵐だけ
火星へランデヴー
それにランタンも鏡もいらない
僕の苦しさが月の反射だったらいいのに
「普通のシンパシー」という言い回しは、共感ですら“普通”になってしまった世界への倦怠感を物語っています。
そんな日々から脱して向かいたいのが“火星”であり、火星でのみ吹くであろう「ふざけた嵐」だけを見たいという欲求は、非日常への強い憧れです。
「ランタンも鏡もいらない」とあるように、外からの光(導き)や自分の姿(評価)さえ不要だと感じるほどに、主人公は内側にある感情の核に触れたがっています。
そして、「月の反射だったらいいのに」というフレーズには、自分の苦しみすら何かの受動的な現象であってほしいという切望が込められているのでしょう。
2-3.芯のない自分と夜に咲く花
ぴんと立てたペンの先から
芯のない自分が見える
しんと静かな夜にさえ
蘭の花弁が映える
深く眠らせて
休符。
優しく撫でて
今度はペンの先に“芯のない自分”を見てしまう主人公。
何かを表現しようとしても、内側が空っぽであることに気づいてしまう痛み。
それでも、静かな夜には蘭の花が映えており、外の世界には確かな美しさがあることが対照的に描かれます。
「深く眠らせて」「優しく撫でて」という願いは、逃避だけでなく、心の底から癒されたいという渇望の表れととれます。
ここでも「休符。」が登場し、言葉にできない想いが音楽的な“間”として表現されています。
2-4.理想へ向かう先は、自分の内側
火星でランデヴー
惰性の日々 理想は引力
僕が見たいのは自分の中身だけ
自分へランデヴー
それに音楽も薬もいらない
僕の価値観が脳の反射だったらいいのに
ここでは「火星”で”ランデヴー」と変化し、ついに理想の地での“出会い”を夢見る段階へと進みます。
そしてその相手は「自分自身」です。
誰かに癒されるのではなく、むしろ自分の本質と向き合いたいという意志が読み取れます。
もはや音楽や薬といった外的な助けも必要としない姿勢は、自分の心の深層に手を伸ばそうとする覚悟であり、取り繕っては空っぽで凡庸に見える自分を取り払おうとする試みと言えるでしょう。
2-5.かすむ月と苛立ち
ぴんと立てたしっぽの先から、
糸のやうなみかづきがかすんでゐる
休符。
あぁ、いらいらするね
「しっぽ」という動物的な部位を描きつつ、かすかに見える三日月が“かすんでゐる”という古風な表記で表されます。
古風な表現がなされているのには、正直私はシャレ以上の意味合いを探ることはできませんでした。
しかし、脈絡のない動物的な表現からは、幻想や希望がうまく掴めず、主人公の思い描く理想がぼやけていく様子が読み取れます。
主人公はそんな自分の理想の揺らぎに対して、「いらいらするね」と率直に吐き出します。
2-6.時間と余裕があれば、あなたも火星へ
火星へランデヴー
惰性の日々 理性の毎日
君に足りないのは時間と余裕だけ
火星へランデヴー
そこに銃弾も花火もいらない
火星の大地がチョコと同じだったらなぁ
ここでは語りかけの対象が“君”となり、視点が少しだけ外に向かいます。
相手を責めるのではなく、「時間と余裕だけが足りない」と言うことで、主人公と同じく現実に満足いかない人々へのどこか思いやりのあるまなざしが感じられます。
「銃弾も花火もいらない」は、破壊も娯楽も必要としない、静かな理想郷を望んでいる証でしょう。
最後の「チョコと同じだったらなぁ」は、突如現れるユーモラスで、この曲の歌詞が妄想の域を出ないことを分かりやすく表す比喩でありながら、その裏には“優しくて甘い世界であってほしい”という純粋な祈りが込められているのかもしれません。
2-7.言葉の光だけを見つめて
火星へランデヴー
さよならあの地球の引力
僕が見てるのは言葉の光だけ
火星へランデヴー
それにランタンも鏡もいらない
僕の苦しさが月の反射だったらいいのに
ラストのこの節は、ついに地球の引力、つまり現実からのあらゆる重力に別れを告げ、「言葉の光だけを見ている」と宣言します。
世界や他者の目ではなく、自分自身が感じる“言葉”にこそ、光を見出そうとしているのでしょう。
繰り返される「ランタンも鏡もいらない」「月の反射だったらいいのに」というフレーズは、結局最後まで消えない主人公の苦しさと、それをただ誰にも渡せず抱き続ける孤独を象徴する表現でしょう。
まとめ
ヨルシカ『火星人』は、現実の重みに疲れた主人公が、火星という“遠くて静かな場所”に逃れようとする心の旅を描いた詩的な作品です。
そこには、理解されない孤独、自己との対話、理想への憧れ、そして最後に”言葉”という光を見つめる意志が込められていました。
火星は遠い…。
でも、私たちの心の奥底にも、誰にも見せない火星があるのかもしれません。
