みなさんこんにちは!
今回は羊文学が6月18日にリリースした「春の嵐」の歌詞の意味を考察していきたいと思います。
最近は主題歌などを手掛けることが増えていた羊文学ですが、今回の新曲はタイアップなどではないようです。
塩塚モエカさんの書く歌詞は、日常の中に潜んでいる形にしがたい感情やモヤモヤを上手く言語化して歌に落とし込んでいるのが特徴ですよね。
この曲は私の中では凄く「羊文学らしい」という印象を受けました。
私が好きな羊文学の曲は「金色」のような、直接的な励ましの言葉が含まれている訳ではないけれど、どこか聞き手の心に寄り添ってくれるような歌が好きなのですが、この曲もまさにそういう曲だなと聞いていて思いました。
「春の嵐」羊文学 歌詞
暖かな部屋の中逃げ込んだ
モニターの奥の世界は無限
あの人になれないままで私
去年と同じ春を迎えてる
存在の証明をどうやってしていいか
わかんないが苦しいよ
今、この胸は苦しいよ
かっこつけるのにも飽きて
いまさら本音もなくって
空っぽな頭に浮かんだ言葉を追いかける
わたしはきっと手放した
あんな欲しかった時間を
誰かが煌めいて生きてる
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い
わたしは心が痛い
雨降り、傘のない夜に
帰ってもいい場所知りたい
腐ったって生活は続いてく
それを選んだ自分の
面倒は自分しか見れないのが寂しいよ
まあいっかなんて笑って
片付けたつもりでずっと
心の奥深く、息を潜めてまだ残ってる
わたしはそれを取り出して
涙でまた水をやって
ありがとうって抱きしめてやる
そこからもう一度生きてく
そんな日々 繰り返していくだけ
この話の再放送はまた、次の春?
「春の嵐」歌詞考察
この曲は一人の女性が自分の生き方に対して葛藤を抱えており、自分が選択しなかった人生を生きている人を羨みながら、自分の人生の居場所を探しているような印象を受けました。
では早速中身を見ていきますが、歌詞考察は筆者である私の個人的見解が含まれるのでご注意ください。
暖かな部屋の中逃げ込んだ
モニターの奥の世界は無限
彼女は春の陽気に包まれた部屋の中で、モニターの奥の世界に逃げ込んだようです。
始まりと終わりが来る季節に、彼女は人生から逃げるように画面の中の世界へと入り込んでいくのですね。
あの人になれないままで私
去年と同じ春を迎えてる
存在の証明をどうやってしていいか
わかんないが苦しいよ
今、この胸は苦しいよ
憧れのあの人がいて、その人のようになりたいと思っているけれど、結局なれないままに去年と同じ自分を生きているわたし
自分自身が確かにここにいるということを証明したい、他者を見て憧れを抱くのではなく、他人から見てもらえる自分になりたい。
でも、ある程度の年齢まで生きてしまうと、それを今からどうやったら良いのかなんて分からないですよね。
自分の悩みや苦しみを誰かに開示することもままならず、どうしたら良いか分からなくてただ部屋の中で現実から目を背ける。
それでも確かに、今この瞬間にも胸は苦しくなっていく。
かっこつけるのにも飽きて
いまさら本音もなくって
空っぽな頭に浮かんだ言葉を追いかける
わたしはきっと手放した
あんな欲しかった時間を
誰かが煌めいて生きてる
本当の自分を曝け出すことができずに、カッコつけて生きることに限界を感じているけれど、今更素直に生きる方法も知らない。
そんな生き方を選んでしまったせいで、本音が頭の中に出てくる事もなくなり、空っぽな人間になり始めているのでしょうか。
彼女はきっと手放してしまったであろう彼女が望んだ人生の時間を、他の誰かが煌めきながら生きているのだろうと考えては、一人暗い気持ちに落ちていく。
今の自分の人生を決めたのは、過去の自分の選択が大半を占めているでしょう。
あの時一歩踏み出せなかった、勇気が足りなかった、強がってしまった。
そんな選択の連続で出来上がった今の自分に後悔して、これまでの選択を悔やんでいるようですね。
あの瞬間に一歩踏み出せなかったわたしと、一歩踏み出した誰か。
「あぁ、あの時わたしと違って踏み出した人はきっと煌めきの中で生きているだろうな」
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い
わたしは心が痛い
雨降り、傘のない夜に
帰ってもいい場所知りたい
2番の冒頭から「痛い」の連続で始まりますが、彼女の声にならない胸の内の叫びが痛々しいですね。
「雨降り、傘のない夜に」という言葉が出てきましたが、比喩なのでしょう。
後悔や弱音、不安が雨のように心に降り注いできて、とうとう心に傘を差して現実逃避することすら出来なくなってしまった夜に、自分の事を温かく迎えてくれるる拠り所が欲しいという悲痛な願いに感じました。
腐ったって生活は続いてく
それを選んだ自分の
面倒は自分しか見れないのが寂しいよ
命ある限りどれだけ腐った生活をしていても明日は来るもの、そんな選択をした自分の面倒は自分しか見れない。
彼女は自分の選択した生き方によって孤独になってしまい、「寂しいよ」と本音が漏れてしまいます。
まあいっかなんて笑って
片付けたつもりでずっと
心の奥深く、息を潜めてまだ残ってる
わたしはそれを取り出して
涙でまた水をやって
ありがとうって抱きしめてやる
そこからもう一度生きてく
部屋で孤独にそんな寂しさを噛み締めていても人生は続いていくもの、「まぁいっか」とひと笑いしてやり過ごした気になっていても、結局は根底にはずっとその感情の種が眠っている。
彼女はその種を取り出しては、流した涙を「水やり」と表現しています。
自分の選択した人生だからこそ割り切るしかない部分もあるのでしょう、ありがとうと抱きしめては再び生きていく決意を固める。
そんな日々 繰り返していくだけ
この話の再放送はまた、次の春?
寂しさや後悔の念から生まれた感情の種に涙の水をやり、再び心の奥底に埋めてしまっておく。
この種が芽吹くのはまた次の春。
新たな芽が息吹く季節にまた、彼女は同じことをして生きていくのでしょう。
まとめ
一人でいる時って結構思い悩みがちですよね。
毎日元気100%!!みたいな人はあんまり羊文学に辿り付くことはないのかなと勝手に思っている私ですが、この曲は特に共感できることが多すぎました。
定期的に来る自分の人生の選択への後悔とタラレバって本当にどうしようもないですよね。
今の自分の身に降りかかる孤独や災難って、周りのせいにしたいと強く思っても最終的には「そんな生き方を選んだ自分」に跳ね返ってくるものなのかなと思います。
でも、その事実を受け入れたら本当に今後の人生に何も楽しい事が訪れないんじゃないかって怖くなって、自分が生きるはずだった誰かの輝いた人生を羨みながら「まぁいっか」って笑うしかないんです。
冒頭にも書きましたが、羊文学の歌って直接的な励ましってよりも「この感覚めっちゃ分かる…」みたいな感情になって、それがどこか「分かってるよ」って寄り添ってくれているみたいで心地が良いです。
穏やかな春のはずなのに、心はいつも嵐のように荒れている。
曲名に合った彼女の感情が聞き手を引き込んでいきますね。