キタニタツヤ『なくしもの』─過去に忘れてきた感情たち─

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みなさん、こんにちは!

2025/6/27にキタニタツヤの新曲『なくしもの』がリリースされました。

この曲は映画『でっちあげ 殺人教師と呼ばれた男』の主題歌にもなっています。

キタニタツヤがこの曲で描く「なくしもの」とはいったいどんなものだったのでしょうか?

当記事では歌詞を一説ずつ区切り、考察していきます!

目次

1.キタニタツヤ『なくしもの』歌詞

「深い霧の中を灯りもつけずに
ふら、ふらり、ひとりさまよい
無邪気な子どもがそう望んだから
気まぐれで手折られた花ひとつ
『ここは遺失物係です』
『何を失くされましたか』
『場所はどこら辺か、心あたりは』
すっからかんの頭と
すっからかんのカバンの底は抜けていた
どこをどう歩いてきたっけ?
何を失くしたのかさえもわからなくて
けれど大事にしてたことは憶えていて
いつか誰かが拾ってくれるでしょうか
探し続けていたら
がらんどうに向き合えたら
いつか生きててよかったと思えるでしょうか

天から賜るこの不幸せに前触れも、     筋合いもない               ふわり舞った蝶がふと疎ましくて
徒に毟られた翅ひとつ
ただ生きていたって意味がさして無いように思えて諦めることばかり考えます
なんとなくまた目覚めて
なんとなく寝落ちている
ひとつも戻らなかったカバンの中
明日も明後日もそうでしょう
大事なものが幾つもあって
ひとつさえ失くしたくなくて
ちゃんと抱えて歩いてきたのに
気づいたら空っぽだ
生きることってなんですか?
何を失くしたのかさえもわからなくて
けれど大事にしてたことは憶えていて
いつか誰かが拾ってくれるでしょうか
探し続けていたら
がらんどうに向き合えたら
いつか生きててよかったと思えるでしょうか
ただ生きていたっていいやと笑えるでしょうか」

誰かを踏み潰す雨が止みますように。
差しのべられた手をちゃんと取れますように。
失くしものをあなたと見つけられますように。
いつか、いつか、いつか、いつか、いつか。

2.キタニタツヤ『なくしもの』歌詞考察

2-1.人生という霧の中の迷子

「深い霧の中を灯りもつけずに
ふら、ふらり、ひとりさまよい
無邪気な子どもがそう望んだから
気まぐれで手折られた花ひとつ

霧の中を明かりなしで進む様子は、人生における迷いや不安を耐えながら生きることの比喩でしょう。

何も見えない中でただふらふらと進んでいる状態は、自分の意思には関係なく、世間や常識に流されるままに生きていくことを表しているのでしょう。

「無邪気な子ども」は過去の自分でしょうか。

その子どもの無邪気な選択や願いによって、大切な何か(花)が失われてしまったその喪失から始まります。

2-2.遺失物係との会話

『ここは遺失物係です』
『何を失くされましたか』
『場所はどこら辺か、心あたりは』

“遺失物係”との窓口での会話です。

しかし、これは現実の窓口ではなく、自分自身に問いかける内面の声とも解釈できるかもしれません。

「何を失くしたのか?」「どこで失くしたのか?」という問いを自分に課し、過去を振り返り、自分の大事にしていたものを探すため、自分の中の傷を見つめています。

2-3.今の自分から抜け落ちたもの

すっからかんの頭と
すっからかんのカバンの底は抜けていた
どこをどう歩いてきたっけ?

「頭」は感情や思い出、「カバン」は持ち物、思い出の品を入れていたのでしょうか。

それらが空っぽなのは、これまでの人生で色々なものを詰め込んできたつもりが、気づいた頃には何も残っていない状態を表しています。

大人になり、世間の目や常識に合わせて自分の形を変えていくにつれて、今までの自分が自らの意思で何をしてきたのか思い出せない心の喪失を描いています。

2-4.思い出せない”なくしもの”

何を失くしたのかさえもわからなくて
けれど大事にしてたことは憶えていて
いつか誰かが拾ってくれるでしょうか
探し続けていたら
がらんどうに向き合えたら
いつか生きててよかったと思えるでしょうか

自分が何を失くしたかはわからないけれども、確かに心の中にある喪失感。

どこにあるのかも、何なのかもわからない失くしものを探し続けることを諦め、他人に縋ろうとしています。

しかし、心のどこかでは自分で「生きていてよかった」と思える日を待ち侘びていることが読み取れます。

2-5.「幸せ」「美しさ」が疎ましい

天から賜るこの不幸せに
前触れも、筋合いもない
ふわり舞った蝶が
ふと疎ましくて
徒に毟られた翅ひとつ

「不幸せ」が突然与えられたもののように感じられ、理不尽さと受け入れがたい思いが表れています。

蝶は美しく幸福や希望などのポジティヴな象徴であることが多いですが、ここではそれすら疎ましく、衝動的に壊してしまっています。

その行為には、自分でもコントロールできない怒りや絶望が感じられます。

2-6.諦めと惰性の毎日

ただ生きていたって
意味がさして無いように思えて
諦めることばかり考えます
なんとなくまた目覚めて
なんとなく寝落ちている
ひとつも戻らなかったカバンの中
明日も明後日もそうでしょう

生きることの意味が見いだせず、惰性で日々を繰り返す姿が痛ましく描かれています。

何も戻らない、空っぽのままの「カバン」が、努力や感情が報われなかったことを表しているのでしょう。

2-7.大切なものは消えていた

大事なものが幾つもあって
ひとつさえ失くしたくなくて
ちゃんと抱えて歩いてきたのに
気づいたら空っぽだ
生きることってなんですか?

守ろうとしていたはずの大切なものが、日々歩いていく中での努力や思いとは裏腹にすべて失われていたようです。

自分なりに必死で生きてきたのに、なぜ空っぽになってしまったのか…。

それが分からない苦しみと、それでも「生きるとは何か?」と問わずにいられない絶望が垣間見えます。

2-9.最後の問い

何を失くしたのかさえもわからなくて
けれど大事にしてたことは憶えていて
いつか誰かが拾ってくれるでしょうか
探し続けていたら
がらんどうに向き合えたら
いつか生きててよかったと思えるでしょうか
ただ生きていたっていいやと笑えるでしょうか」

実はこの曲の歌詞、冒頭からこの節の最後までがカギカッコで閉じられていたことには気づいていましたでしょうか?

この曲の大半を占めていた、人生に疲弊した主人公の独り言、問いかけのようなものが、ここで終わりを迎えます。

主人公はここでも再び「失くしたものは何か」それを探す旅こそが、自分を取り戻す鍵であると信じようとしています。

しかし、そこに確証はないため次の節の「祈り」に続くわけです。

2-9.祈り

誰かを踏み潰す雨が止みますように。
差しのべられた手をちゃんと取れますように。
失くしものをあなたと見つけられますように。
いつか、いつか、いつか、いつか、いつか。

最後のこの部分は、主人公と同じ得体の知れない絶望、”失くしもの”を抱えた誰かへの願いであり、同時に自分への願いでもあるようです。

「誰かを踏み潰す雨」は無意識に人を傷つけてしまうことや、社会の暴力性。

「差し伸べられた手」=人とのつながりや救い。

「あなたと見つけられますように」という願いは、「なくしもの」=自分の一部、心の安らぎ、あるいは愛を他者とともに取り戻せる日が来ることを祈る言葉です。

そんな日は永遠に来ないかも知れないと薄々感じつつも、「いつか」そんな未来が来ることを願い、この曲は結ばれます。

まとめ

『なくしもの』は、明確な喪失や痛みよりも、「自分でも何を失ったのか分からない」現代の大人にはありふれたような苦しみを描いた楽曲でした。

何を失ったのかはわからずとも、幸せに生きるための秘訣は自らの過去にあり、「かつては持っていたはずのもの」だということは分かっているのです。

それは無邪気さでしょうか?
常識に囚われない想像力でしょうか?

みなさんの「なくしもの」はなんでしょうか?

聴いた人の胸に、そんな問いを残していく歌詞です。

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