羊文学『砂漠のきみへ』歌詞考察─手を貸さずに見守る強さ─

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みなさんこんにちは!

今回は羊文学のアルバム『POWERS』から『砂漠のきみへ』の歌詞を考察していきたいと思います!

この曲は、終わりの見えない悩みの中でひとり打ちひしがれる友人/家族に宛てた手紙のような内容になっています。

「手紙」であることから「宛てた人物とのある一定の距離」があることがわかります。

その距離が故に、書き手の直接的な救いの手を差し伸べることのできない引け目や、諦めのようなものが漂う切ないムードを感じる一曲です。

ぜひ、最後までご覧ください!

目次

1.羊文学『砂漠のきみへ』歌詞

きみは砂漠の真ん中
ユーモアじゃ雨はふらない
余裕ないぜ オアシスは程遠い

ちょうど砂漠の真ん中
愚痴ならいくらでも聞く
涙だけは命取り でもあふれた

それを掬って 瓶に集めて
いつか花にあげる日までとっておくよ

それしかできない
ごめんねと書く

今は砂漠の真ん中
ユーモア 笑えているか
胸にきいて深呼吸
もう疲れた
わたしここにいるけど忘れて

一人で進んで
いつか笑って戻る日まで
待っているよ

大人になってく
いじっぱりのきみ

離れていく
きみはいま
自由だね

2.羊文学『砂漠のきみへ』歌詞考察

2-1.冗談でも誤魔化せない憂鬱

きみは砂漠の真ん中
ユーモアじゃ雨はふらない
余裕ないぜ オアシスは程遠い

ちょうど砂漠の真ん中
愚痴ならいくらでも聞く
涙だけは命取り でもあふれた

砂漠のように荒んだ心には、ちょっとの笑いや冗談(ユーモア)ごときでは何ももたらすことができません。

嬉しさ、喜びなどの心の潤いを求めて乾ききった心で人生を歩みますが、憂鬱が果てしなく続き、心から笑える日が来るとは到底思えることはありません。

そんな友人に対して「愚痴ならいくらでも聞けるよ」と言葉をかける主人公ですが、友人の目からは涙が溢れるばかりで、どうすることもできません。

2-2.何もできない不甲斐なさ

それを掬って 瓶に集めて
いつか花にあげる日までとっておくよ

それしかできない
ごめんねと書く

悲しい経験や悲しみそのものも、その時には辛く感じたとしても、いずれは活かしていけるのが人生。

いつか友人にその悲しみがあったからこそ辿り着ける結果があることを信じて、友人の涙を主人公もまた覚えておこうと約束します。

主人公にできることは、手紙でそうして励ますこと…それしかないのです。

2-3.きみのプレッシャーにならないように

今は砂漠の真ん中
ユーモア 笑えているか
胸にきいて深呼吸
もう疲れた
わたしここにいるけど忘れて

一人で進んで
いつか笑って戻る日まで
待っているよ

相変わらず上手く笑えない友人に気を遣った言葉をかけ続けても、主人公は疲弊し、友人にはプレッシャーになってしまいます。

それを感じた主人公は、いつでも戻ってきて大丈夫なように心は寄せているけれど、その日まで1人でいられる時間を作ってあげようと考えたのです。

2-4.見守るという選択

大人になってく
いじっぱりのきみ

離れていく
きみはいま
自由だね

悲しみを経て大人になっていく友人に対して、どうにかそばに居てあげようと聞こえのいい言葉をかけてあげていた主人公。

それが必ずしも友人に対しても自分に対してもいいこととは限らないと感じた主人公は、ひとりになりたい友人を優しく送り出します。

いつかまた戻ってくる日まで、密かに想いを寄せていてあげることが、友人としてできる最善の策であったということですね。

3.まとめ

羊文学『砂漠のきみへ』は、悩みを抱えた友人への寄り添い方に戸惑う主人公がどのような答えを出すのかを描いた曲になっていました。

友人が落ち込んでるところを見ると、どうしてもなんとかしてあげたくなる気持ちが込み上げてくるところですが、主人公はそこをあえて踏みとどまることを選びました。

悲しみに暮れている時には届かない声があること、悲しみに浸かりきったからこそ活かせることがあることを知っている主人公は、心は寄せても言葉を過剰に寄せることをやめました。

もちろん相手にもよるかもしれませんが、友人がなかなか精神的な病みから抜け出せない時は、程よい距離を保ち、見守ってあげられることもひとつの手かもしれませんね。

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