今回は、CLAN QUEEN 『MONOPOLY』の歌詞考察をしていきます。
CLAN QUEEN 『MONOPOLY』は2025年9月3日にリリースされた楽曲で、サーカスやカジノにいるような雰囲気にCLAN QUEEN らしいアートロック感が漂った楽曲となっています。
CLAN QUEEN とは?
CLAN QUEEN 『MONOPOLY』 歌詞
正常な顔している化物たちの
ウェルビーイングな世界
狂っても所詮はレディメイド
僕もそうなんでしょ?
何度だって振り直すダイス
紙を持って余裕あるスタンス
月額制の哲学だけじゃ
もう騙せなくなるだろう
魅力的な言葉垂らして
君の手を掴めないよ
完璧なんていなかった
まぁくだらない理想を誉めて頂戴
最低なのか
きっとまぁそれもいいでしょ?
最悪なのさ
まぁくだらない理想を褒めて頂戴
愛してみたかった
飲み込めぬ悲劇に乾杯を
資本主義のカルテ
僕らにはまるで
死屍累々の着飾った悪夢で
金で買えるものばっか増えていく
人生一度の運勢ゲームです
すぐに道化で気持ちが無くなる
ナイトホークスが深くなる
自分の価値が見出せない
そんな孤独こそが
Monopolyなのです
魅力的な言葉垂らして
君の手を掴めないよ
完璧なんていなかった
まぁくだらない理想を褒めて頂戴
最低なのか
きっとまぁそれもいいでしょ?
最悪なのさ
まぁくだらない理想を褒めて頂戴
愛してみたかった
飲み込めぬ悲劇に
正解より僕が納得できる様な
不正解を愛したい
焦がれてみたかったよ
君の見える世界の色を
僕の満たされない価値じゃ
君に触れられない
無駄というものを愛したい
才能なんてなかった
まぁくだらない言葉で褒めて頂戴
完璧なのかい?
完璧なんていなかった
まぁくだらない理想を褒めて頂戴
最低なのか
きっとまぁそれもいいでしょ?
最悪なのさ
まぁくだらない理想を誉めて頂戴
愛してみたかった
飲み込めぬ悲劇に乾杯を
CLAN QUEEN 『MONOPOLY』 歌詞考察
ちなみに「MONOPOLY」とは「独占」という意味を持ったボードゲームのことです。
正常な顔している化物たちの
ウェルビーイングな世界
狂っても所詮はレディメイド
僕もそうなんでしょ?
何度だって振り直すダイス
紙を持って余裕あるスタンス
月額制の哲学だけじゃ
もう騙せなくなるだろう
表面上では幸福そうに見える人が、実は内面には化物のような本性を隠しているということを意味している。
あんなに幸せそうなのに実は裏で人の悪口、SNSで暴言を吐いていたり、絶対に人には言えない秘密があったりなど「本性」を隠している私たちを「化物」と比喩しているのではないでしょうか?
周りから良く見られたい「理想」
本性である「現実」
そんな理想と現実のギャップを持って私たちは生きていくのでしょう。
そして、私たちはどんなに自分らしさ、個性的に表現し振る舞おうとも、結局は誰かの作った型にはまったレディメイド(既製品)に過ぎないという皮肉的な意味が込められています。
「〜に似ている」「〜さんみたい」「〜の曲に似ている」など
自分らしく振る舞おうとも、新しい表現ができても「アンデンティー」が尊重されづらい社会を表現しているのではないでしょうか?
魅力的な言葉垂らして
君の手を掴めないよ
完璧なんていなかった
まぁくだらない理想を誉めて頂戴
最低なのか
きっとまぁそれもいいでしょ?
最悪なのさ
まぁくだらない理想を褒めて頂戴
愛してみたかった
飲み込めぬ悲劇に乾杯を
どんなに魅力的な言葉を垂らしても、あなたの気持ちを「独占」することはできない
理想を追い求めて表面上だけの魅力的な言葉を並べても、簡単には相手の気持ちを動かすことはできませんよね。だからこそ「言葉」よりも「行動」することが相手の心を真に動かす第一歩なのかもしれません。
「完璧なんていなかった まぁくだらない理想を誉めて頂戴」
完璧な人なんていないと知りながらも、完璧を目指し演じてしまう、だからこそこんなくだらない自分を褒めて欲しいという自分自身の自信のなさ(自己肯定感の低さ)を持った人を表しているのでしょうか。
そんな最悪な自分でも愛してみたい、そんなありのままの自分らしさを受け入れることができたのかもしれません。
資本主義のカルテ
僕らにはまるで
死屍累々の着飾った悪夢で
金で買えるものばっか増えていく
人生一度の運勢ゲームです
すぐに道化で気持ちが無くなる
ナイトホークスが深くなる
自分の価値が見出せない
そんな孤独こそが
Monopolyなのです
資本主義により作られてきた現代、「死屍累々の着飾った悪夢」と「金で買えるものばっか増えていく」そんな二つの現状から、貧富の差が拡大していく社会を表しているのではないでしょうか?
そして、現代社会に自分の価値を見出せない現状を「Monopoly」と表現していますね。
正解より僕が納得できる様な
不正解を愛したい
焦がれてみたかったよ
君の見える世界の色を
僕の満たされない価値じゃ
君に触れられない
無駄というものを愛したい
正しいとされているよりも自分が納得できるようなことをしたい。例えそれが間違いだとしても、視点を変えれば自分にとっての「正解」なのかもしれない。
また、今の自分の「価値観」では見えている世界が違う「君」に近づくことすらできない、だからこそ無駄だと思っているものを愛して、「君」に触れられるように変わっていきたいという「プライド」を捨てて、自分を愛していきたいという意味なのではないでしょうか。
まとめ
CLAN QUEEN 『MONOPOLY』では、どんなに自分らしさを演じていても相手の気持ちや愛を自分の思い通りに「独占」することはできない、何をやっても報われない虚無感や社会への皮肉が込められているように感じられました。
皆さんはどう解釈しましたか?