ドレスコーズ 「ミスフィッツ」の魅力-静かにも燃ゆる眼-

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皆さんこんにちは!

今回はドレスコーズ「ミスフィッツ」の歌詞の意味について考察していきます。

こちらの曲は、5月14日に発売された「†」のリード曲となっています。

いつも最後は1人になってしまうドレスコーズの、志摩遼平さん自身の孤独を表した曲がこの「ミスフィッツ」なんですね。

4月8日に開催されたライブにて初披露されたようで、その独特の曲調と奇抜なMVがコアな音楽ファンに突き刺さる一曲です。

まだ聴いていない方がこの記事を読みに来ることはないと思いますが、いたら今のうちに聴いておきましょう!

ドレスコーズ official channel
目次

ドレスコーズってどんなバンド?

ドレスコーズは、志磨遼平さんの独特の世界観と社会への批評を織り交ぜた歌詞からなるロックンロールな歌が魅力となっています。

志磨遼平さんは元々「毛皮のマリーズ」というバンドのボーカルをしていたようなのですが、音楽制作の過程ですれ違いが起きてしまって、話し合いの末に志摩遼平さん以外の3人が同時に脱退してしまったようです。

音楽性の違いというやつなんですかね。

ちなみに面白いのが「ドレスコーズ」とは、メインの志摩遼平さん以外は全員脱退しているのを逆手に取って、ライブなど表立っての活動の際に有名なミュージシャン達と組むことが多いようです。

何でも、違うバンドに志摩遼平さんが加わって「ドレスコーズ」を名乗ってライブをしたりすることもあるそうな、かなり破天荒ですよね(笑)

では、早速曲の中身を見ていきましょう。

ドレスコーズ 「ミスフィッツ」歌詞

ぼくはきっとちがってる
なぜかほらはぐれてる
どうやったってひとりぼっち
それがぼくミスフィッツ
わからないでしょばかみたいでしょ

またひとりあぶれてる
胸がずっとふるえてる
咳をしたってひとりぼっち
きみもそうかミスフィッツ
つまらないでしょ やるせないでしょ

けがれた ただしさに
未来がうばわれて
たとえばぼくになにかあっても
負けならみとめない
かくしてるハートはいかにも
こう見えてディーバさ

くだらないわらえない
ここにはいれない

誓えない 守れない
だれともいれない

なつかしくともぶっこわして
あいしてるすらぶっこわして

おとなのみにくさに
いつしかつかまれて
たとえばぼくにもうなにもなくても
負けならみとめない
のこしてるカードはいかにも
こう見えて キングさ

ぼくをこのまま ぶっこわしてよ
ぼくをこのまま ぶっこわしてよ

ミスフィッツに込められた意味

志摩遼平さんの作る曲は、自身の経験を大量に詰め込んでいて、自分自身を貫き通すような歌詞が特徴ですよね。

けれど自分にまつわる歌だからって、聴き手が置いて行かれたり突き放されたりすることはなくて、最高にロックしてると思います。

最初に見た時は、見た目のイメージとかからめちゃくちゃ独特な世界観で変わった曲を歌いまくってる人なのかなと思っていましたが、聴いてみると何だか良い意味で地に足がついているというか、この言葉が表している感覚って何となく分かるかもって曲が多かったです。

ここからは、歌詞を一部抜粋して読み解いていきながら、自分なりに曲の意味や感想を述べていこうと思います!

そもそも曲名にもなっている「ミスフィッツ」ですが、日本語では「はみ出し者」「社会不適合者」という意味があるみたいです。

ぼくはきっとちがってるなぜかほらはぐれてる
どうやったってひとりぼっち

それがぼくミスフィッツ
わからないでしょばかみたいでしょ

歌い出しから、はみ出し者である自分に対して何とも捻くれているような歌詞が登場します。

「どうせ僕は独りぼっちのはみ出し者だよ、分からないでしょ、馬鹿みたいだと思ってるんでしょ?」

自分をはみ出し者にした「普通」という型に当てはめたがる人間達、そんな大衆達に向けてこの言葉を放っているような印象を受けました。

またひとりあぶれてる胸がずっとふるえてる
咳をしたってひとりぼっち

きみもそうかミスフィッツ
つまらないでしょ やるせないでしょ

ここでは、自分と同じようにはみ出し者になってしまった人間を遠くから見ているような情景が浮かんできます。

「きみもそうかミスフィッツ」

「つまらないでしょ、やるせないでしょ」

これは私自身のほんと勝手なイメージですけど、「ぼく」が既にはみ出し者として長い事生きていて、自分と同じようにはみ出し者になってしまった人に対して「つまらないよね、色々とやるせないよね」と、はみ出し者の先駆者として語りかけているような印象を受けました。

私もそういう風に感じて生きていた時期があるので、この歌詞に共感してもらえた感じがしました。

けがれた ただしさに
未来がうばわれて
たとえばぼくになにかあっても

負けならみとめない
かくしてるハートはいかにも
こう見えてディーバさ

サビの部分になります。

この「けがれた ただしさ」って、最近のSNSの普及によって偏向報道やフェイクニュースなどにより人生が破滅してしまった人の事例に対して言っているのでしょうか。

SNSのコメント欄なんかを見ていてもそうですよね。

その件について全てを知っているわけでも、詳しく調べようとしたわけでもないのに、自分がパッと見た何となくで相手を批判し罵声を浴びせる。

その人が本当に悪いかどうかさえ知らないのに、周りの意見に流されて悪いとされている方を叩く。

偽りで汚れた「正義」と言う大義名分のもとに。

例えそんな汚れた正義によって未来が奪われるような事があって、「ぼく」自身に何かあったとしても、負けは認めない。

もうめちゃくちゃカッコいいですよね。

「かくしてるハートはいかにも」
「こう見えてディーバさ」

この「ディーバ」という言葉の意味についてなんですけど、調べた中でこの曲に合致しそうな意味が二つありました。

一つ目は、音楽や映画などの舞台で活躍する女性を指すそうです。

ラテン語で女神を指す言葉の「divus/diva」が語源であり、スター的な存在だったり芸術の中心で輝く女性に対して用いる事があるようですね。

志摩遼平さんはフェミニンな雰囲気を持っていますし、過去のモデルプレスのインタビューでは「男性的なものより可愛らしいものが昔から好きなんです。これのメンズがあればいいのになぁってよく思います。爪に色を塗ったり、ピアスをしたり、憧れみたいなものがあります、女の子は楽しいだろうなぁって。」と語る場面がありました。

もう一つの意味として、サンスクリット語で「灯明」を意味し、闇を照らす智慧の光という意味があります。

これもまた面白いんですよ。

「生きとし生けるものの無知の闇を滅する光明」

こんな意味があるんですね。

さらに「智慧の光」「智慧」という言葉には「正しく物事を認識して判断する能力」があるみたいで、この能力によって執着や愛憎などの煩悩を消滅させる事ができるそうです。

現代風に言えば「正しく判断をする心の働き」「事にあたって適切に判断し、処置する能力」となるようです。

学問的な知識ではなくて、人生経験からなる人格の形成が完成した時に初めて得られる、人生の目的や物事の根本に関わる深い知識のことでもあるみたいです。

「負けなら認めないよ、隠してるハートはこう見えてディーバなのさ」

はみ出し者として開き直って捻くれているのかと思えば、急に闘志に燃える瞳を見たようで胸を打たれました。

くだらないわらえない
ここにはいれない

誓えない 守れない
だれともいれない

なつかしくともぶっこわして
あいしてるすらぶっこわして

この部分は自身がミスフィッツ(はみ出し者)である事を再認識するかのような歌詞ですね。

みんなの輪に入る事ができず、くだらないと感じてしまって笑う事ができず、「ここにはいれない」と思っている様子が分かります。

人との誓いを立てることも、それを守ることもできなくて、結局自分は誰とも居る事ができないと悲観しているようにも思えます。

懐かしさや愛情さえも全てぶっ壊して、自分の殻を破ろうとしているのでしょうか。

はみ出し者として確立されてしまった自分を振り返り悲観しますが、懐かしさや愛情さえもぶっ壊して、ミスフィッツとしての自分の姿を受け入れようとしているようにも見えます。

おとなのみにくさに
いつしかつかまれて
たとえばぼくにもうなにもなくても

負けならみとめない
のこしてるカードはいかにも
こう見えて キングさ

大人達の醜さに掴まれてしまい、自分にもう何も無くなってしまったとしても負けは認めない。

「のこしてるカードはいかにも、こう見えてキングさ」

最後の歌詞もめちゃくちゃ良いですよね。

はみ出し者で開き直っていて、みんなにはこんな人間に見えるかもしれないけれど、残している最後のカードはこう見えてもキングなんだぜという何とも熱い歌詞。

自身の経験則から曲を書いているけど、ちゃんと我々を置いて行かずに寄り添ってくれるような歌ですね。

奇抜なMVと独特な歌い方から、最初に聴き始めた時は「何だか凄い歌だな」と思っていましたが、歌詞に秘められた熱い心に胸を動かされ、今では聴かないと落ち着かないくらい好きな歌の一つです。

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