4月25日(金)に配信されたVaundyの新曲「僕にはどうしてわかるんだろう」が、テレビ朝日系木曜ドラマ『PJ ~航空救難団~』の主題歌として起用されました。
4月24日(木)から第一話が放送されたこのドラマは、航空自衛隊航空救難団に所属する救難員、通称PJ(パラレスキュージャンパー)を育てる救難教育隊の教官を内野聖陽が演じています。
PJとは自衛隊の中でも精鋭だけが所属を許された人命救助のエキスパートで、本作はなんと航空自衛隊全面協力のもとで、命がけの救難活動の様子を描いています。
今回はこちらの楽曲「僕にはどうしてわかるんだろう」の歌詞を一部抜粋して意味を紐解き、曲全体に込められたメッセージを考察していきます!
また、歌詞考察をするにあたって、まだこの曲を聴いていない方はぜひ聴いてみてください!
楽曲制作にあたってのVaundyのコメント
では、この楽曲を制作するにあたってのVaundyのコメントを紹介します。
【Vaundy コメント】
“使命”や”情熱” というものはどこからやってくるのだろう。
何かを成し遂げる上での根拠のない自信とはなんなのだろう。
それはきっと僕たちが運命に導かれ何度も繰り返している輪廻の中で生きているからなのではと思い、「僕にはどうしてわかるんだろう」という曲が今回出来上がりました。人は色のついた世界をずっと探して模索するけど、きっとそこには辿り着けなくて、でも答えはなんとなく解っている。そんな1人の人間の自問自答や葛藤する想いをこの曲に込めました。
ドラマの映像も一足先に少し見させていただいたのですが、圧倒的なスケール感と熱量で作り上げられている作品なので今から放送が楽しみです。
人命救助という生き死にの現場というのは、当然自らの命にも死のプレッシャーがかかるものだと思います。
そのような現場で人が人の命を救うという使命感や熱量は、一体どこからやってくるんだろうという疑問を感じたのですね。
「僕にはどうしてわかるんだろう」は、「根拠はないけど成功する気がするという」挑戦における確信だったり、あるいは「この人しかいない」という根拠のない自信などは、運命というレールの上を走る人生を輪廻して何度も過ごすうちに、無自覚に未来を予見しているのではないかという風に考えたようです。
それが曲名の由来となっているみたいですね。
さて、それでは早速歌詞の確認と考察の方に移っていきましょう!
Vaundy「僕にはどうしてわかるんだろう」歌詞
今晩は降りる駅を変え 僕の心に咲いていた
小さなプライドの行方を探した
ずっと気づけなかったんだ
僕の心がどうにも あの聴きなれたリリックで
涙を流し出すまで 今どうにか言い訳探して
目をそらしてみようが
きっと 僕以上に、僕以前に、
僕よりも 僕のことつくってる
僕にはどうしてわかるんだろう
迷える日々が これとない味のエッセイ
僕にはどうしてわかるんだろう
挫折の日々は色づくため
全部モノクロ
今晩は歩く道を変え 僕の心に撒いていた
小さなプライドの香りを辿ったが
時は真夏 荒天と海神 蒼炎際立つ
骨相青に溶け モノクロは焦シアン蒼白へ
言葉足らずでいつも見失うの
悲しみは言い訳の数で 目を閉ざしてみようが
ずっと 僕以上に、僕以前に、
僕よりも 僕のことつくってる
まぶたに映った映画
僕にはどうしてわかるんだろう
全てのことが 走馬灯、胸に残っている
僕にはどうしてわかるんだろう
全てのことが 色で満ちていたモノクロ
あの港から光を手繰って ここまで来たんだ
じっと 鼓動を聞いていた
「僕たちは、翡翠の奇跡を生きている」
僕にはどうしてわかるんだろう
全てのことが 走馬灯、胸に残っている
僕にはどうしてわかるんだろう
全てのことが まるで明くる前のよう
僕にはどうしてわかるんだろう
全ての日々が これとない味のエッセイ
僕にはどうしてわかるんだろう
全ての景色が 思い出すためのモノクロ
「僕にはどうしてわかるんだろう」歌詞考察
今晩は降りる駅を変え 僕の心に咲いていた
小さなプライドの行方を探した
ずっと気づけなかったんだ
僕の心がどうにも あの聴きなれたリリックで
涙を流し出すまで
主人公となる「僕」は、いつも降りている駅とは違う駅に降りて、自分自身について見つめ直すことにしたようです。
心にあるプライドが何から来ているのか、どうしたらいいのかを考えているみたいですね。
いつも聴いている聴き慣れた曲のリリックがやけに心を突き刺して涙を流してしまった事で、自分の心にあるいつもとは違う何かに気づいてしまったんですね。
今どうにか言い訳探して
目をそらしてみようが
きっと 僕以上に、僕以前に、
僕よりも 僕のことつくってる
涙が溢れてくる理由は自分の心に存在していた感情からきているものだと分かっていますが、どうにかその事実から目を背けるために自分なりの言い訳を探してみようともします。
それでも考えて考え抜いた結果、今の自分が形成されるよりも前からずっと、今の自分ができてからも、それ以上に自分を理解していて「僕」を形成している何かがあることに気づきます。
自分への理解度を高めるためには、この「自分からは見えない何か」が自身の感情や行動にどう影響を及ぼしているのかを知っていく必要があるということですね。
僕にはどうしてわかるんだろう
迷える日々が これとない味のエッセイ
僕にはどうしてわかるんだろう
挫折の日々は色づくため
全部モノクロ
ここで曲名にもなった「僕にはどうしてわかるんだろう」という言葉が出てきましたね。
コメントにもあったように、ここでは自分では気づいていないつもりの何かが僕を動かしていることに対しての疑問と、そのヒントとも言える言葉が出てきましたね。
迷いに迷って挫折してばかりの日々は、全て色づくために必要なモノクロだと考えているようです。
これは実際にそうとも言えますよね。
ここは少し解説が必要になる部分にもなりますので、個人的見解を添えて詳しくお話しします。
長くなるので、歌詞の考察が見たい方は下の方までスキップしちゃってください。
-挫折の日々は色つくためのモノクロ-この言葉の意味とは?
ありきたりな言葉かもしれませんが、辛い経験が今後の糧になっていくケースは人生において数え切れないくらいにあります。
そして、こういう言葉や人生の仕組み自体は昔からあるんですよね。
「石の上にも三年」なんて言いますが、これは辛い事でも続けていれば意味を成す。という意味のことわざです。
一見意味もなければただ辛いだけにも思える「石の上に三年もいる」という行為ですが、続ければ何かしら意味あるよって事ですよね。(ちょっと適当すぎるかもしれませんが)
それに、昔から言われている言葉がもう一つあります。
これは社会人の人なら一度は聞いた事があるのではないでしょうか??
「仕事はどれだけ辛くても三年は続けた方がいい」
現代はSNSの影響により、一般層よりも成功者としての素質を兼ね備えた方達の人生観や価値観に簡単に触れる事ができるようになってきました。
その影響で「辛いならすぐ辞めればいい」「終身雇用の時代じゃない」「転職によるスキルアップ」なんて言葉が増えましたよね。
それが間違っているとは言いません。「辛いのに無駄に三年も耐える必要がわからない」という人もいるでしょう。
しかし、この「辛い状況を三年間耐える」という行為に意味があるのです。
例えば、辛さのパーセンテージが1から10段階まであるとして、今の職場が9だとします。もう辛くて逃げ出したくなりますよね。
それでも、三年続けた後で6の職場に転職した場合、6の職場の辛さしか知らない人間から見たあなたは凄く強く輝いて見えるでしょう。
そしてあなたはこう思います「なんだ、こんなもんか」
これが先人たちの残した「石の上にも三年」や「辛くても三年は辞めるな」という言葉の本当の意味なのです。
根性や忍耐力というのは人間には絶対に必要なものであり、これは一度身につけてしまえば無くなることはありません。
「あの時に比べたらこんなの楽勝だ」というふうに感じる事ができる経験をした事がある人と、面倒なことや嫌な事から目を背けて逃げてきた人間。
どちらの目線から見た世界の方が色付いて見えるのかは考えるまでもありません。
つまりこの事実を理解している人間は、自分が置かれている状況を考えて辛くなったとしても、例えどん底まで落ち込んで、世界がモノクロに見えて聴き慣れたリリックで涙が溢れてきてしまったとしても「これはいつか世界を色付ける為に必要なモノクロなんだ」と思えるということです。
そしてVaundyは、昔から「辛い現状はいつか自分を強くしてくれる経験に変わる」という根本的な人間の仕組みは変わっていないので、これを輪廻と絡めて考えたのではないでしょうか?
自分が強くなる為には試練が付き物、輪廻の中で生きているうちにそれが根底に染み付き、「僕」は挫折や迷いは糧になるという事を無意識下でも理解しているのでしょう。
これが冒頭の「小さなプライド」では?と私は思いました。
現状が辛かったり苦しいことには変わらないし、逃げ出したくもなるし今にも逃げてしまいたい。
それでも自分の足で立ち上がる自分の、心の奥底で炎を燃やし始めている小さなプライド。
これが僕を以前から僕以上に作り上げてきたものの正体なのでしょう。
しかし、この時まだ「僕」はそこまで確信に触れることはまだできずに、ぼんやりと「僕にはどうしてわかるんだろう」と考えているのかと私は考えています。
では若干駆け足になりますが、歌詞考察の続きを見ていきましょう。
言葉足らずでいつも見失うの
悲しみは言い訳の数で 目を閉ざしてみようが
ずっと 僕以上に、僕以前に、
僕よりも 僕のことつくってる
2番では、自分のプライドの正体を探るためにいつもと違う道を歩いてみたりもします。
それでも自分なりの言語化ができず、いつも見失っては結論には辿り着けないでいます。
自身の感じる悲しみに、大量の言い訳を被せて蓋をしてみようともしますが、そうではない何かが「僕」の事を作っている事実は隠し切る事ができません。
僕にはどうしてわかるんだろう
全てのことが 走馬灯、胸に残っている
僕にはどうしてわかるんだろう
全てのことが 色で満ちていたモノクロ
ここでも自分に対しての問いかけは止まず、全てのことが走馬灯として胸に残っていると考えています。
「全てのことが 色で満ちていたモノクロ」
過去のあらゆる出来事が全て胸の中に残っていて、それら一つ一つを振り返ってみると、色で満ちていたモノクロなんだそう。
これは、過去の経験が今の自分を形成しているという事を示唆しています。
この過去の経験たちを紐解いていけば、自分自身を理解するのに必要な要素は揃っていくはずです。
まとめ
いかがでしたか?
曲の全ての歌詞を考察したわけではないですが、私なりにこの曲の歌詞に込められたメッセージや意味を考察してみました。
自分の内面って意外と考えた事ないよって人も多いのではないでしょうか。
のほほんと生きていくのも楽しいかもしれませんが、人生はいつもさざなみのように穏やかとは限りません。
険しい道のりで高い山の山頂から眺める景色が絶景なように、登っている最中は辛くてやめたいと思うかもしれません。
上よりも降りる方がはるかに楽である事を自分は知っていますからね。
それでも登り続けた先の景色は何にも変え難い素敵なもので、その景色を一目見た人は道中の辛ささえも「この景色の為のありがたみ」だと思える事でしょう。