[チ。]ヨルシカ『へび』が新EDに──歌詞の考察/解釈

yorushika snake
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みなさんこんにちは!

連続2クールで絶賛放送中のアニメ『チ。』が、1月12日に放送された16話をもって後編へ突入しました。

それに伴い、EDテーマがヨルシカの『アポリア』から、同じくヨルシカの『へび』に一新。

ヨルシカ『へび』ノンクレジットED

『へび』のリリース日は1月17日と少し先なため、現時点ではアニメ『チ。』のEDで流れる1番のみが聴ける状況です。

今回当記事では、ヨルシカ『へび』の1番の歌詞をご紹介するとともに、1番の歌詞考察/解釈をまとめていきます!

目次

1.[ヨルシカ『へび』]歌詞

行方知らずのあの雲を見た
私の麟はあなたに似ていた

舌は二つ瞼は眠らず
ぼやけた蓬の香りがする

行方知らずのあの雲の下
私の心は火の粉に似ていた

靴はいらず耳は知らず
あなたの寝息を聞く

ブルーベルのベッドを滑った春みたいだ
シジュウカラはあんな風に歌うのか

海を知らず 花を愛でず 空を仰ぐ私は
また巫山の雲をみたいだけ

2 .[ヨルシカ『へび』]考察/解釈をわかりやすく!n-bunaさんのコメント

以下、ヨルシカのギター兼作曲をつとめるn-bunaさんが新曲『へび』について寄せたコメントです。

この曲を編曲するにあたっての背景知識として少し目を通しておくと、歌詞の意味が見えてきます。

“ある日見たへびの鱗(うろこ)がきれいだったので、へびをテーマにした曲を書いていた時、ふと「チ。」との親和性を感じました。

聖書では知恵の実を食べる人間と、それを唆したへびの構図が有名ですが、それはシンプルな知への欲求の比喩だと解釈できます。

そこから、へびが春に眠りから目覚め、外に這(は)い出して世界を知る歌を書きました。

また、この歌が典拠としているのは唐代の詩人、元稹(げんしん)の「離思」の一節です。

曽経滄海難為水

除却巫山不是雲

意訳すると「大海を知った後ではただの水では満足できない。巫山の雲以外を雲とは思えない。」

大海も巫山の雲も、元稹が亡き妻に向けた比喩です。シンプルで奥行きのある愛の詩です。”

おおまかにまとめると、この曲のルーツとしては2つあることが分かりました。

・聖書の中の「エデンの園」でアダムとイブが蛇に唆され禁じられた果実、知恵の実を食べたこと。(知的探求の象徴)

・唐代の詩人、元稹の最愛の亡き妻を悼んだ詩「離思」(最たる感動の象徴?)

これらを無理矢理結びつけると見えてくるのは、「知性によって得た最たる感動を再び求める好奇心」

そんな好奇心を持った蛇が春に目覚め、世界を旅する歌といったところでしょうか。

それをおさえたうえで、歌詞考察/解釈の方をしていきましょう。

3 .[ヨルシカ『へび』]歌詞考察/解釈

・冒頭の「行方知らずのあの雲」、まだ見えないものへの知的好奇心

「行方知らずのあの雲」という表現は、元稹の詩「離思」に登場する「巫山の雲」に関連づけられると考えられます。

この雲は、元稹にとって亡き妻への思慕や、取り返しのつかない最たる感動の象徴です。

一方で、歌詞ではこの雲が「行方知らず」であることから、感動や知的探求の対象がまだ見えない、または捉えられない状態を暗示していますね。

・「麟(うろこ)」と「あなた」は知的探求の対象

「私の麟はあなたに似ていた」という一節では、蛇の麟(うろこ)「あなた」と重ねられています。

「あなた」は、探求の果てにたどり着きたい対象(知識、感動、あるいは愛そのもの)と解釈できます。

また、「麟」は蛇の象徴として、知的探求者である「私」自身をも指している可能性があります。

つまり、この一節は「探求者としての私が追い求める対象に近づきたい」という願望の投影と読めます。

・「舌は二つ瞼は眠らず」「ぼやけた蓬の香り」知的探求者の姿勢と鋭い感覚描写

「舌は二つ瞼は眠らず」「ぼやけた蓬の香り」という部分は、蛇の身体的特徴やその鋭敏な「感覚」を描写しています。

これは単なる蛇という動物描写にとどまらず、知的探求者としての敏感さや好奇心の喩えとして、それらを強調していると考えられます。

特に「眠らず」という言葉は、探求への休むことをもつゆ知らざる、飽くなき情熱を象徴しているようにも思えます。

・ 「靴はいらず耳は知らず」知的探求へのめり込む真っ直ぐで身軽な姿勢

靴が不要であることは、蛇が直接地面を這う生態を指していますが、同時に探求者としてのフットワークの軽さ、あるいは既存の枠組みに囚われない姿勢を暗示しているように思えます。

また「耳は知らず」は、耳を持たない蛇を喩えとして、外界の雑音に惑わされず、直感や本能を重視して進む姿勢を表しているとも取れますね。

・「ブルーベルのベッド」や「シジュウカラ」から導かれる「春」のイメージ

「ブルーベル」という花や「シジュウカラ」という鳥は、春の季節の象徴です。

冬眠から覚めた蛇が、新たな世界を目にし、耳にする情景が描かれています。

「春」は、再生や新たな好奇心の芽生えを象徴しているのでしょう。

つまり、蛇が「眠りから目覚め、外に這い出して世界を知る」というテーマを鮮やかに表現していますね。

・「海を知らず 花を愛でず 空を仰ぐ私はまた巫山の雲を見たいだけ」人生史上最高の知的感動を追い求めて

この部分は、元稹の詩である「曽経滄海難為水 除却巫山不是雲」を思わせます。

大海や巫山の雲を知った後では、それ以外のものに感動できないという詩のテーマを、蛇の視点に立って表したように思えます。

蛇である「私」はまだ大海や巫山の雲(から得られる感動)以上のものを知らず、空を仰ぎながらそれを探し求めています。

この視線の先には、未知への憧れと、それを求める知的好奇心が込められていると解釈できます。

・全体のテーマ

この歌詞全体を通して感じられるのは、「知性や感動を求める旅」が蛇を通して描かれているということです。

特に、知識や感動に触れることが人間の存在意義や喜びそのものだという、知的探究者の1番深いところをえぐって、そのままに表した詩だと思います。

知的探求者を突き動かす根本原理というのは、単に世界を知ることだけでなく、今までの自分を超えるような深い感動を再び求める衝動であるということでしょう。

いかがでしたか?

「ある日見た蛇が美しかったので」から始まり、聖書と唐代の詩人を巻き込みながら、「蛇」という一種の動物にここまでのメッセージを込められるのは、n-bunaさん本人の知的探求者としての生き方があってでしょう。

アニメ『チ。』との関連もさることながら、ヨルシカの色も濃く感じる『へび』という楽曲。

『チ。』とヨルシカのシナジーが凄すぎて、私はアニメ『チ。』にn-bunaさんが次世代主人公として現れても「ちょっとしたアニオリぐらいか〜。」くらいで全く疑いません笑

1月17日に完全版がリリースされますので、もう一度フル尺の歌詞を考察し直す予定です。

その際にも是非チェックしてくださいね!

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